清心流空手道総本部 清心館のホームページへようこそ

菊地和雄 宗家

清心流空手道総本部清心館は、故菊地和雄宗家の許で旧清心館本部本館副館長を務められた 木津祥二先生をはじめ、元指導員の方々より認められた唯一の清心流正統派継承道場です。

このホームページは、清心流空手道総本部清心館に関する情報をお知らせしています。

注意※
清心流空手道総本部清心館は、清心流を名乗る他団体もしくは、当道場が認めた清心流の友好団体以外の団体とは一切関係ありません。

はじめに

清心館の印と意味

清心館の印は、かつて本部道場で菊地宗家が館旗として使用していた青、赤、白(リバティー、ピース、インディペンデンス)のトリコロール色(フランスの独立記念日にちなんで、フランス国旗と同じ配色にした)を内側に配置し、外輪に菊の紋章(15枚の菊の花弁は、清心流空手道総本部 清心館が国際東久邇宮記念会より特別に使用を許された)を使用している。

館長 あいさつ

清心流は、故 菊地和雄宗家が1957年7月14日、フランスの独立記念日に清心流空手拳法と命名、そして独立宣言をした独自の空手の流派です。

菊地宗家の創始した清心流は、空手のみならず、居合、杖術、柔術、捕縛術、手裏剣、泳法、ライフル射撃、登山等をその体系に取り入れ、理論、技、歴史的考察などの研鑽、昇段試験では実技ばかりではなく論文提出までさせるほど、文武両道を目指しておりました。

1965年以降は全国展開を図り、国内のみならずスペイン、フランス、シンガポール、カナダ、アメリカへも進出し、門人はおおよそ2万人を超す団体になっていったのです。

1967年、本部本館を東京三田に開き、日本初の通信教育による空手道を始めました。この時期には各階の著名人、有名人芸能人などが多数在籍しておりました。

1983年1月27日、この絶頂期のさ中、菊地宗家は志半ばの58歳という若さで急逝され、その後、清心流は散り散りになっていきました。

宗家没後32年経ち、清心流が正しい形で世の中に伝わっていないのを知り、菊地宗家が残した素晴らしい清心流を間違った形で後世に残すのはとても忍びなく、本当の清心流を志のある方々や未来の子供たちに残すべく、清心流空手道総本部 清心館の立ち上げに至りました。

名誉総裁に東久邇宮記念会顧問の熊谷秀之先生、名誉館長に旧清心館本部本館副館長の木津祥二先生のお二方をお迎えしました。

本当の清心流空手道をその名前の通り、清い心を以って後世に残すべく、努力邁進していく所存です。

清心流空手道総本部 清心館
館長 千葉征孝

少年部の会員心得

会員心得

清心流空手道総本部 清心館 役員

名誉総裁/ 熊谷 秀之 / 東久邇宮記念会顧問、慈善活動家

名誉館長/ 木津 祥二 / 旧清心館本部本館副館長

中   館  長/ 千葉 征孝 / 日本空手道師範会執行会員、世界空手師範協会長、全日本防具空手道協会顧問

顧  問

中沢 裕隆 / 千葉県議会議

阿比留 義顯   / 柏市議会議員

田辺 信彦 / 田辺総合法律事務所 弁護士

内藤 昭一 / 日本空手道連武舘 舘長

渡邊 俊行 / 俊武塾塾長、一社)全日本琉球古武道連盟 副会長

佐藤 治重 / 日本空手道 琉球古武道 真光流 師範

   

井上  一雄   /   旧清心館早来支部長

和田  守正   /   旧清心館稚内支部長

青柳     洋   /   旧清心館本部所属

三関  隆雄   /   闘技空手道拳誠会館 館長

長谷川  誠   /   清心流空手道拳真会 会長

安達  伸治   /   安達自動車代表取締役

     

副館長 / 千葉 菜穂子 /  清心流空手道総本部指導員、歯科医師

指導員 /  千葉 寿明  /  清心流空手道総本部指導員、柔道整復師

事務局  /  畠山 一弘  /  清心流空手道総本部事務局

友好団体

日本空手道錬武舘

剛柔流空手道日誠会本部 誠道館

一社)全日本琉球古武道連盟

国際上地流空手道 琉球古武道 與儀会館

春日部市空手道連盟

全日本防具空手道協会

闘技空手道拳誠会館

清心流空手道拳真会

南千住スポーツクラブ 拳志会

圓明流空手道 木村道場

スペイン サンセバスチャン 清心流

   

柏さくらライオンズクラブ

(株)KCR